ギマランイス
ギマランイスは、ポルトガルを独立に導いて初代国王となったアフォンソ・エンリケスの故郷であり、旧市街にはアフォンソの生まれたギマランイス城はじめ、中世の建物が数多く残っていることから、「ギマランイス歴史地区」としてUNESCOの世界遺産に登録されている。
「ポルト」もくじ
ギマランイス城
午前8時20分、ポルトの始発駅のサン・ベントからギマランイス線の電車に乗り、終点で降りた。片道1時間とちょっとの各駅停車の遠足だ。
駅をあとにして、ドン・アフォンソ・エンリケス通りを進んだ。旧市街に通じるまっすぐな下り坂で、街路樹の濃い緑が歩道に心地よい影を落としていた。ギマランイスの名所のうち、まず、駅からいちばん遠いギマランイス城を目指した。
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↑ドン・アフォンソ・エンリケス通りが終わると、右手に公園が見えた。公園の前の道は古い城壁へと続く。巣があるのか、周りにイワツバメがたくさん飛び交っていた。 |
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↑ギマランイス城。南側から眺める。 |
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↑内側から見上げる。残っているのは外壁と塔だけ。 |
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↑お城の東側から眺める |
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↑ギマランイス城を背に剣を構えるアフォンソ・エンリケス |
行きの飛行機の中で映画「ホビット」を見たばかりだったので、中世の堅牢なギマランイス城は、映画に出てきたドワーフのお城をこの目で見ているかのようだった。ギマランイス城の威容の前にはダジャレもキマらんいす。
旧市街を歩く〜中心地の広場周辺〜
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↑カーザ・ド・アルコ。直訳すると「アーチ型の家」。サンタ・マリア通りをまたいで建てられた古い家で、12世紀の古文書にすでに記述があるという。 |
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↑サンタ・マリア通りを南に抜けるとサンティアゴ広場に出る。ポルトガルの正午はお昼ご飯にはまだ早い。カフェのパラソルの下は空っぽだ。 |
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↑サンティアゴ広場 |
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↑サンティアゴ広場の南隣、オリヴェイラ広場。14世紀半ばに建立されたノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会など、ギマランイスを代表する歴史的建物がある。 |
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↑ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会の前のアーチ形の構造物。中央に石の十字架が立っている。 |
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↑オリヴェイラ広場から旧市庁舎を眺める(右の黒っぽい建物)。アーチをくぐるとサンティアゴ広場に出る。 |
お昼ご飯とヴィーニョ・ヴェルデ
オリヴェイラ広場に面したカフェ&ワインハウス「ローリャス&ロトゥーロス」でお昼ご飯にした。メニューに特産のヴィーニョ・ヴェルデがあったので、赤と白を1杯ずつ注文した。
「ヴィーニョ・ヴェルデ」を直訳すると「緑のワイン」だが、どうやらフツーの赤や白らしい。どうして「緑」というのだろう?グラスにワインを注いでくれているマスターに、「緑色じゃないんですね」と尋ねたら、ヴェルデとはぶどうの品種で、付近一帯ではヴェルデ、マドゥーロ、モスカテール(マスカット)の3種類が栽培されていると教えてくれた。おかげで旅行前の疑問があっけなく解けた。
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↑ハンバーガーのお昼ご飯。厚い手作りパテでボリュームたっぷり。楊枝のてっぺんの丸いものはオリーブの塩漬け。 |
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↑ヴィーニョ・ヴェルデの赤と白。どちらもほんのわずかに発泡していて、とてもおいしい。白だけでなく、赤も冷やしてある。大きなグラス1杯2ユーロ(282円)。 |
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| ↑お店の天井にハム用の豚もも肉が吊るしてある。もも肉をそいだハムは「プレズント」と呼ばれる(日本ではプロシュート)。 |
旧市街を歩く〜トウラール広場周辺〜
トウラール広場まで来ると、ギマランイス駅に通じるドン・アフォンソ・エンリケス通りはすぐそこだ。
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↑トウラール広場 |
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↑トウラール広場に面したお店。ドア・ノッカーの専門店かと思ったら、後ろのショウウインドウにモーニング・スターや兜など、中世の騎士の武具が見えた。モーニング・スターはトゲトゲ頭のついた打撃用の武器で、RPGの魔物退治でさんざん振り回してきたが、本物にお目にかかるのは初めてだ。上の方には男性用の古めかしいテーソー帯らしきものも飾ってあり、大いなる興味を持ってまぢまぢと眺めたのであった。 |
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| ↑カーザ・ド・アルコほど古くないが、路地の上に似たような橋状の部屋が少なくとも3つある。 |
ギマランイス周辺
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↑ドン・アフォンソ・エンリケス通りの街路樹の間から、向かいの山がのぞいていた。頂に教会の尖塔が見えた。 |
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↑帰りの電車が動き出して間もなくの風景 |
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