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バルセロス


CP(ポルトガル鉄道)の電車でバルセロスに遠足に行った。ポルトの北約40km、カヴァド川に面した内陸の街だ。バルセロス観光も徒歩でがんばるせろす。

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ポルタ・ノーヴァ広場

電車を降り、お店やオフィスの入った新しいビルが立ち並ぶアルカイデス・デ・ファリア通りを10分ほど歩くと、古い建物が増えてきた。左手には地図に目印をつけておいたレプブリカ広場があった。毎週木曜日になると、この広場に大規模な青空市場が出現するそうだが、あいにく私たちが訪れたのは水曜日だった。市のない日は駐車場になるのか、広場は自動車で埋め尽くされていた。

バルセロス観光の中心となるポルタ・ノーヴァ広場は、レプブリカ広場の南西隣にある。古風な建物とバローカス公園の花壇が寄り添い、白壁まぶしいセニョール・ボン・ジェズース・ダ・クルース教会がたたずむ。

セニョール・ボン・ジェズース・ダ・クルース教会
↑セニョール・ボン・ジェズース・ダ・クルース教会

バローカス公園
↑ポルタ・ノーヴァ広場に隣接したバローカス公園。バルセロスは花壇の多い町で、しかも、どの花壇も丹念に手入れされている。中でもこの公園の花壇は面積が広く、花や緑の配置が凝っていておもしろい。

ポルタ・ノーヴァの塔
↑15世紀に建てられたポルタ・ノーヴァの塔(右の建物)。ポルタ・ノーヴァ広場の南端にある。

手工芸センター

ポルタ・ノーヴァの塔の脇を抜けると、小さな広場に出る。塔の入り口はこの広場に面している。重厚な石造りの外観とは裏腹に、塔の内部は木材がふんだんに使われ、温かみのある雰囲気だ。現在、地元バルセロスの手工芸品の紹介と販売を行う「手工芸センター」になっている。

1階は主にショップで、有名な雄鶏伝説(後述)にちなんだ焼き物の雄鶏が並んでいる。おみやげに手ごろなものが多い。上の階には作家ものの雄鶏が多数展示されていて、100ユーロ前後の値札のついた作品もあった。

ポルタ・ノーヴァの塔兼手工芸センターの入り口
↑ポルタ・ノーヴァの塔の入り口。内部は手工芸センター。

ポルタ・ノーヴァの塔の屋上から眺める
↑ポルタ・ノーヴァの塔の屋上から眺める。左奥の丸っこい建物はセニョール・ボン・ジェズース・ダ・クルース教会。右手の花壇はバローカス公園。正面・奥の緑はレプブリカ広場。

バルセロス伯爵邸(考古学博物館)

カヴァド川に向かって坂道を下り、バルセロス伯爵邸を目指した。

ペロリーニョ
↑伯爵邸の隣の公園。花壇の中央には、中世、罪人を縛り付けて懲らしめたという石柱、「ペロリーニョ」がある。

バルセロス伯爵邸の丘からカヴァド川を眺める
↑伯爵邸の丘からカヴァド川を眺める。橋は14世紀に造られた年代物で、アーチのいくつかは鉄板で補強されていた。橋の手前はバルセロス地区、向こう側はバルセリーニョス地区だ。

バルセロス伯爵邸
↑15世紀に建てられたバルセロス伯爵邸。1755年のリスボン地震で天井や壁が崩落してしまったという。現在は野外考古学博物館になっている。

バルセロス伯爵邸

アズレージョに描かれたバルセロス伯爵邸
↑現役だったころの伯爵邸。いにしえのバルセロスを描いたこのような青いアズレージョ(タイルに描かれた絵)が、壁のところどころに掲げられている。

バルセリーニョス地区から伯爵邸を眺める
↑橋を渡り、バルセリーニョス地区から伯爵邸を眺めた。

バルセロスの雄鶏

“昔、バルセロスで事件が起こり、人々は不安な思いで暮らしていました。そんなある日、旅の巡礼者が通りかかりました。巡礼の男はとらえられ、一方的に犯人の濡れ衣を着せられて絞首刑を宣告されました。処刑が迫り、男は自分に刑を言い渡した代官の元へ連れて行って欲しいと頼みました。願いが聞き入れられ、代官の屋敷に着くと、ちょうど宴の真っ最中でした。男はもう一度代官に無実を訴えたあと、テーブルに乗っていたごちそうの鶏の丸焼きを指さして叫びました。「この身が潔白なら、刑に処される時、その雄鶏が鳴くであろう!」。たちまち宴席から笑い声が上がりましたが、何か不思議なことが起こりそうで、鶏の丸焼きに手をつける者はいませんでした。いよいよ刑が実行されようとしたその時、突然、テーブルの雄鶏が起き上がり、鳴き声を上げました。もはや、男の無実を疑う者はだれもいませんでした。不思議なことはまだあります。男の首には縄が巻かれていましたが、継ぎ目が緩んでいたため縄が締まらなかったのです。男はすぐさま自由の身となり、巡礼の旅を再開しました。そして、何年かあとバルセロスに戻ってきて、災難を救ってくれたお礼にと、雄鶏の石の十字架を建てたのでした。”

これは有名な「バルセロスの雄鶏」伝説で、手工芸センターでもらったパンフレットの英語版を要約したものだ(拙訳御免)。伝説にありがちなことだが、この物語にも変種がいくつか存在し、バルセロスで起きたという事件や奇跡の内容が少しずつ異なっている。

上述の、考古学博物館でもあるバルセロス伯爵邸に行くと、雄鶏伝説にまつわる古びた石の十字架が見られる(次の写真)。苦難を救われた巡礼者が何らかの記念を残したのが史実としたら、この十字架だったりして。もし、そうだとしても巡礼者が作ったのは雄鶏から上の部分だけで、宙吊りの苦しそうなお兄さんから下は、伝説を元に後世の人が建て増したんじゃないかな。いくら中世では絞首刑が当たり前だからといって、さすがに自分の首吊り姿を絵柄にする気はしなかっただろうからネ。

雄鶏の石の十字架

観光案内所の前の雄鶏
 ↑観光案内所の前の雄鶏。今や、雄鶏はバルセロスのみにとどまらず、ポルトガルのシンボルにもなっている。

オラリア博物館前の雄鶏
↑オラリア博物館前の雄鶏
雄鶏伝説を題材にした張りぼて
↑手工芸センターの上の階に、雄鶏伝説を題材にした張りぼてアトラクションがある。中世の物語の登場人物&動物に変身して記念撮影なのだ。緑の帽子は旅の巡礼者。体格のいい西洋人さんがかぶるとよくお似合い。右は正義を告げたコッコ。中身はうちのおとうさん。普段から少し鳥っぽいので、こちらもよくお似合い。

雄鶏の置き物
 ↑手工芸センターで見つけた雄鶏の置き物。左右の翼には'com amizade'、'com carinho'とある。直訳すると「友情とともに」、「愛情とともに」。

お昼ご飯

薄暗い路地をのぞいたら、レストランが何軒か並んでいた。そのうちの1軒に、地元の人らしき年配のカップルが入って行ったので、私たちもそこでお昼ご飯にした。「ポルタ・ノーヴァ」という、広場の名前を冠したレストランだ。

ヴィーニョ・ヴェルデ入りのポット
↑バルセロスはヴィーニョ・ヴェルデの産地でもある。淡い発泡が口当たりよく、おととい行ったギマランイスですっかりファンになったので、グラスワインの赤と白を注文したら、ポットで出てきてびっくり。グラスに注いでたっぷり3杯半あった。おとうさんは1杯で十分なので、残りはとーぜん私のものなのだ。1ポット3ユーロ(423円)と、あとでレシートを見てお手頃価格に二度びっくり。

ビーフステーキ、マスタード入りチーズソースがけ
↑ビーフステーキ、マスタード入りチーズソースがけ。おとうさんのおかず。

レストラン「ポルタ・ノーヴァ」
↑レストラン「ポルタ・ノーヴァ」

バルセロス駅

駅に戻り、15:40発の電車でバルセロスをあとにした。行きはニーネで乗り換えたが、帰りはポルトへの直通便だった。Nine(ニーネ)って、英語読みではナインなのにーね。

バルセロス駅の駅舎
↑駅前のロータリーから眺めた駅舎

駅ホーム
↑駅ホーム

蒸気機関車の風見鶏
↑駅舎の屋根の上で、風見鶏ならぬ風見ぽっぽが風向きを告げる。

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