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チチェン・イツァー
中央広場の北西部には、長さ82m、幅30mの「大球技場」がある(右の写真)。競技者がゴムのボールを前に勝敗を競っている様子が、コートを挟む東西の壁に彫刻されている。壁の高さは8mを超え、どちらの側にも石の輪が1つずつ付いている。輪はボールを投げ入れるゴールだったという説もあるが、実際の用途はわかっていない。ゲームに敗けた側は斬首されて、衆目にその首をさらすことになったと伝えられている(後述)。
大球技場の東の壁の南端は、「ジャガーの神殿」と呼ばれる高い建物になっている。左下の写真に小さく写っているが、正面の柱の間にジャガーの像がある。その奥の壁一面の浮き彫りがみごとだ。口から炎を吐いている、ドラゴンのような絵がある。トルテカ人が信仰していた、羽毛の生えた蛇「ケツァルコアトル」かもしれない。長い羽根のついた帽子をかぶっている人や、槍のようなものを何本も束にして抱えている人もいる。どちらの人物もトルテカの戦士らしい(「チチェン・イツァーの興亡」参照)。
大球技場の東隣に、「ツォンパントリ」と呼ばれる構造物がある。遠目には低い壁か、何かの基壇にしか見えないが、実はこれがなかなか不気味なのだ。その側面には、串刺しドクロの横顔の浮き彫りが、段重ねでずらーーっと並んでいる。 ツォンパントリとは、「頭蓋骨の棚」という意味だそうだ。戦争や、上述の球技で勝利した側は、敗者の首を斬り落とし、ツォンパントリに並べてさらすという、現代の感覚ではかなり「ひええ」な祝勝が行われていたという。現物をさらすだけじゃ気が済まなくて、石にその絵を刻んで永久保存しちゃうとは。自分たちがいかに大きな勝利を収めたかを、末代まで誇示したかったのかもしれない。鬼気迫る浮き彫りを前にすると、これらは実は彫刻ではなく、敗者の阿鼻叫喚と勝者の歓声をも取り込んで、戦利品そのものが石化したのではないか、という気さえしてくる。
左上の写真は、ツォンパントリの一角だ。串刺しドクロが延々と並んでいる。おどろおどろしさを和らげるために、にこやかなドクロさんの写真もいっしょに載せておこう(右の写真)。 さて、ツォンパントリに彫られているのは、ドクロばかりではない。ある面では、トルテカの戦士が幻想的な浮き彫りになっている(下の2枚の写真)。それは、私がチチェン・イツァーで見た彫刻の中で、もっとも感銘を受けた絵柄だ。槍のようなものを数本抱えた戦士が横向きに立っていて、周囲にたくさんの蛇がうごめいている。蛇のうねりが実に躍動的だ。蛇の姿を借りて、戦士の発する気、あるいはエネルギーを表現しようとしたとも受け取れる。
ツォンパントリのすぐ南東には、「ワシとジャガーの基壇」がある(左下の写真)。四方に階段のついた小さな壇だが、ツォンパントリ同様、側面に強烈な印象の絵柄が彫刻されている。ワシとジャガーが、いけにえの心臓をつかんで食べている図と解釈されている(右下の写真)。しかし、私の目には、どの供物も桃かトマトにしか見えない。本の教える通りのものだと思うと・・・う・・・なんだか胸が苦しくなってくるので、これはくだものであり、ワシもジャガーもたまには食物繊維をたっぷり取りたいのだと、身勝手な解釈をしておいた。 ワシとジャガーの基壇は当時の舞台で、その上では喜劇が演じられたという。喜劇?壁にああした絵柄が彫ってあるのに・・・おっと、これはくだもの、くだもの(現実を直視していないな)。
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