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ユカタン 石の都

プウク丘陵の遺跡
Ruins on Puuc Hills

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プウク丘陵にはマヤの遺跡がたくさんある。この地域の遺跡は、プウク様式と呼ばれる独特の建築様式が特徴的だ。

ATS社が運行する、メリダ発着の周遊バスに乗り、5月8日と9日の2日間、プウク丘陵の遺跡群を訪れた。最初の日はバスでひととおり遺跡を回り、2日目はウシュマルだけを見学した。

プウク丘陵 Puuc Hills

プウク丘陵を望む
 ↑前方にプウク丘陵が見える

メリダの市街地を抜けるとすぐに、背丈の低い薮が道路の左右に広がった。行く手は、道と地平線が交わる点となって、平地ばかりが永遠に続くかと思われたが、1時間ほど走ると、遠くに青いものが見えてきた。プウク丘陵だった(右の写真)。

周遊バスは純粋な観光バスと違い、途中乗車も下車も可能だ。道端に立って片腕を伸ばし、バスに向かって上下させるのが、乗車の合図だ。降りたい場所を運転手さんに告げておくと、そこで降ろしてくれる。

丘陵のふもとのムナという小さな街は、最初の「正式な」停留所だ。山盛りマンゴーのバケツを抱えた男性や、色刺繍入りの純白の民族衣装を着た奥さんが乗ってきた。次の停留所のウシュマルで地元の人は全員下車し、バスに残っているのは、私を含め数人の観光客だけになった。後ほど、ラブナーなどの遺跡見学を終えてウシュマルに戻ったら、ムナでバスに乗ってきた男性が遺跡の入り口の屋台にいて、飾り切りしたおやつマンゴーを売っていた。民族衣装の奥さんは、その隣の民芸品店の店員さんだった。プウク周遊の観光バスは、地元の人たちの通勤の足でもあるようだ。

さて、ムナの街を出るとすぐに道幅が狭まり、カーブの多い山道に変わった。バスは、道路の上に張り出した木の枝を払いながら、ゆっくり進む。丘のてっぺんまで来ると、急に視界が開けた。眼下に始まった樹海が、はるか彼方の地平線で途切れるまで、緑のうねりとなって続いていた。雲の影が落ちた所は暗く、樹海に濃淡のまだら模様を描いていた。

下り坂が終わると、もう山道ではなくなったが、道は丘に登る前のように平坦ではなく、ゆるい起伏を繰り返しながら、まっすぐ前に伸びている。バスはとある枝道で左折すると、周遊コースでは最も遠くにある、ラブナー遺跡の入り口で停車した。

ラブナー Labna

遺跡公園に入って左手に、宮殿だったと考えられている建物がある。上の方はところどころ崩れているが、1階は保存状態がいい。どの入り口も、両脇に円柱が数本ずつ配置されていて、石の建物というよりも、竹か木の幹をそのまま使っているような、素朴な印象を受ける。

宮殿のほぼ正面に、「ラブナー・アーチ」の名で知られるアーチがある。このアーチは持ち送り式天井の美しいことで有名だ。

ラブナー・アーチ宮殿
↑ラブナー・アーチ↑宮殿の入り口の一つ

サイール Sayil

王宮

バスの時刻表では、ラブナーの次はシュラパックになっているが、バスはシュラパックには寄らずに、サイールへと向かった。

左の写真は「王宮」と呼ばれている建物だ。98もの部屋があったという。今ではずいぶん崩れてしまい、痛々しいほどだが、かつては壮麗な建物だったことだろう。


カバー Kabah

「コツ・ポオプの宮殿」が圧巻だ。正面の壁一面、カギ鼻をした雨の神様「チャーク」の顔で覆われていて、別名「仮面の宮殿」とも呼ばれている。他のマヤの遺跡では、建物の角にチャークの顔が1つ、多くても数個、縦に積み重なっているのをよく見かけるが、カバーではおびただしい数のチャークがこちらを見ている。

ユカタン半島は雨の少ない所だが、低地ではセノーテに貯まった地下水が利用できたという。しかし、セノーテすらないプウク丘陵では、水の確保は深刻な問題だっただろう。カバーにチャークをたくさん祭ったのは、プウクの人々の、雨を願う強い気持ちからかもしれない。

コツ・ポオプの宮殿チャーク
↑チャークの顔が埋め尽くす、コツ・ポオプの宮殿の壁。↑チャーク

立像

コツ・ポオプの宮殿の裏もおもしろい。高い所に立像が2体付いていて、向かって右の像は顔がなくなっているが、左はまっすぐ前を見つめている(右の写真)。その下の壁は、格子模様のモザイクで整然と飾られている。ちょっとしたブロックにも、繊細な線そのままに、紋様がくっきりと浮き彫りされている。

さて、カバーのあとはプウク周遊最後の遺跡、ウシュマルだ。ウシュマルの見学記は、ページを変えて記述することにする。


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