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ユカタン 石の都

チチェン・イツァー
南部
South Part of Chichen Itza


チチェン・イツァーの南部には、プウク様式の建物が集中している。トルテカの侵攻以前に建てられた建物が多いことから、この地区は「旧チチェン」とも呼ばれている(トルテカのチチェン・イツァー侵攻については「チチェン・イツァーの興亡」参照)。

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惑わしの穴

 ↑惑わしの穴。私は勝手にそう呼んでいる。すっかり干上がって、底には枯葉が積もっているが、かつては水をたたえた美しい泉だったかもしれない。

中央広場の南から、2本の道がこの地区に向かっている。エル・カスティージョのすぐ南の広い道を進めばよかったのだが、あたりの景色に見とれていたら通り過ぎてしまい、その東にあるもう1本の道に入った。

景観を損なわないための配慮だろうが、道案内の看板は小さく、矢印がどっちを指しているのかわかりにくいものもある。南部の代表的な建物である、Caracol(カラコル)と書いてある方向に進んでいるつもりなのに、いつの間にかヘンな穴に出てしまう。

「おっかしいなぁ、ここ、さっきも来なかったっけ??」同じ穴の周りをぐるぐる回っているだけらしいと気づいて、「この穴、いたいけな観光客を惑わす、キツネかタヌキの根城に違いない」と、心の中で八つ当たりしながらごそごそとチチェン・イツァーの地図を取り出したのだが、マヤ文明の解説書に載っていた地図なので、「サクベ」という古代の道しか書かれていない。とほほほほ。午前9時の太陽はまだ東の方角だろうと思って、太陽を背に進んでみたら、小さなピラミッドのような建物が見えてきた。南部の地区の入り口にある、高僧の墓だった。やれやれ、やっと。

チチェン・イツァー南部の建物

上の写真は「カラコル」の名で有名な建物だ。カラコルとは、スペイン語でかたつむのことだ。この建物を見たスペイン人が、かたつむりを連想したことから、この名前が付いたそうだ。ドームがほぼ崩れてしまっているが、天体望遠鏡の端っこでものぞいていそうな、見るからに天文台ぽい形をしている。実際、正真正銘の天文台であり、太陽や月はもとより、当時、マヤ社会で戦争と結び付いて信仰されていた金星の運行も、カラコルで観測されていたという。

チチェン・イツァーといえば、何と言ってもエル・カスティージョが有名だが、私にとっては、長い間、カラコルこそがこの不思議な遺跡の象徴だった。3年前、グループツアーに参加してチチェン・イツァーを見学した時、南部の地区はツアーのコース外だったため、カラコルが見られずとても残念だったが、今回はのんびりと好きなだけカラコルを眺めることができた。

↑尼僧院の東隣の建物。壁を埋め尽くす重厚な彫刻。なんだか重そう。↑尼僧院。幅の広い堂々たる階段だが、ひどく崩れている。
↑壁面パネルの神殿。壁に人や動植物が多数彫刻されていることから、この名前が付いた。火にまつわる儀式の場だったといわれている。↑高僧の墓。四方に階段がついている。階段の下には、羽毛の生えた蛇「ケツァルコアトル」の頭の彫刻がある。よく見ると、階段の両脇に沿って蛇の体が刻まれている。ちょうど、建物のてっぺんから階段に沿って蛇が下っているような格好だ。

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