![]() セビージャ音楽随想
ガイタとは、スペインのガリシア地方に伝わるバグパイプの一種である。 仕事ではあるが、スペインはアンダルシア地方のセビージャに1週間ほど滞在した。 アンダルシア地方といえばフラメンコで有名だが、大道芸でガイタが聴けるのではないかと、行く前に何となく考えていた。 大道芸はそこそこいたし、チップ目当てのアコーディオン弾きもいたのだが、肝心のガイタは数日たっても出会うことがなかった。やはりこのあたりでは聴けないのかなと考えていたら、セビージャ滞在の最終日に、仲間と夕食をして別行動となった後、どこからともなく、聴いたことのある音色が聴こえてきた。 音色に誘われ、音のする方に向かうと、ガイタプレーヤが一人演奏していた。ちょっと離れた所で合唱が行われていて、そっちの方が人気があり、ガイタの演奏に対しては、たまに通りがかる人がチップを投げていくくらいで、少し寂しい感じだった。 しかし、自分にとってそれは探し求めていたものとの出会いであり、セビージャ滞在の締めくくりにふさわしいものだった。夕暮れの中でしばらくその演奏を楽しんだあと、ホテルへの帰路についた。 2007年7月3日 仕事の合間のプライベートな時間に、セビージャでフラメンコを見る機会があるかもしれないと思い、出張の前、映画「ベンゴ」で予習していった。「ベンゴ」は、主人公の一家と、彼らと対立する一家との軋轢を描いた作品で、フラメンコが随所にちりばめられている。また、主人公がセビージャの橋を渡る場面もある。 セビージャに行ったからといって、必ずしも本物のフラメンコに出会えるわけではないと思っていたが、幸運にも、会議のバンケットでフラメンコが披露された。出演者達は正真正銘のヒターノ(ジプシー)だし、音楽もダンスも素晴らしいもので、思わず席を立ち、ステージの近くで堪能した。ただ、何かが欠けているという思いが残って、完全には気持ちが満たされなかった。
現地で知り合った人から、セビージャからバスで2時間ほど行ったところにフランメンコの街があると聞いていたが、出張だったので、そこへ行くことはもちろんできなかった。 ライブでのフラメンコとの最初の出会いは、カルロス・ヌニェスとともに来日したフラメンコ・ダンサーだった。きれいなドレスを着た女性が情熱的に踊るという、それまで自分が持っていたフラメンコのイメージは、この出会いによって吹き飛んでしまった。情熱的とかいうのではなく、とにかくカッコよかったのだ。 その後、「ラッチョ・ド・ローム」や「ベンゴ」などの映画と出会ったことで、ジプシーの歴史やフラメンコの発祥について何となく理解できたように感じている。そして、フラメンコにジャズやロックの要素を織り込んだバンドである、バルセロナのオホス・デ・ブルッホのライブや、今回、たまたまバンケットで見たステージも含めて、様々なフラメンコに出会ってきた。そうして自分の中に残ったのは、フラメンコをもっと見たい、聴きたい、という強い思いである。 帰国後、再度「ベンゴ」を見た。パーティーの席上、ある人が「これが本物のフラメンコだ」と叫ぶシーンがあるが、そのシーンを見てふと感じた。 フラメンコとは、かなわぬ想いと知りつつも渇望すること、満たされぬと思いつつも渇望することであり、そうした思いの昇華ではないだろうか。だから、私も含めて、様々な人がフラメンコに取り憑かれてしまうのだろう。 だが、それはフラメンコの持つ側面の一つに過ぎないかもしれない。だから、いつかまた別の機会に、フラメンコに出会う旅に出ようと思う。 2007年7月10日 ![]() |