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ドウロ渓谷観光列車1
レグア


CPドウロ線とドウロ渓谷観光列車のルート
↑CPドウロ線とドウロ渓谷観光列車のルート


ドウロ川上流の渓谷が、ポルトワインのぶどうの生産地として知られるようになったのは18世紀のことだが、ワイン作りでは二千年もの歴史があるという。一帯は「アルト・ドウロ・ワイン生産地域」として、UNESCOの世界遺産にも登録されている。

毎年、夏季限定で、CP(ポルトガル鉄道)がドウロ渓谷で観光列車を運行していることを知った。ドウロ線の一部区間を古めかしい列車が走るという。「コンボイオ・イストリコ」(訳注:歴史ある列車)という観光プログラムで、同社のホームページでも予約できる。5月上旬、待望の2014年版が発表され、それからしばらくして初回7月5日分の切符が予約できるようになった。今年も毎週土曜日の運行で、私たちは7月12日の催行分を予約した(「鉄道切符の予約」参照)。

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レグア駅

観光列車はポルトから約100km東のレグアが起点となる。7月12日朝、ポルトのサン・ベント駅の窓口でレグアまでの切符を買い、9時10分発のドウロ線の急行列車に乗り込んだ。

ポルトを発ってしばらくは平地と低い丘の繰り返しだったが、1時間ほどするとドウロ川沿いを走るようになった。ぶどう畑の広がるなだらかな山が続く。ドウロ渓谷に入ったようだ。川幅はポルトほど広くないが、流れは相変わらず緩やかで水が暗い。日本ではこれほど上流になると周囲は山がちで、川は澄んだ急流であることが多いので、100km近く内陸にあっても悠然と流れるドウロ川は物珍しかった。

午前11時過ぎ、レグアの駅に到着した。

ポルトからレグアまでどれぐあいかかるの?
急行で1時間58分だよ。

・・・失礼しました。

列車はこのあと終点のポシーニョまで行くが、乗客のほとんどがレグアで降りたようで、ホームは大勢の人でごった返していた。そういえば、始発のサン・ベント駅からずっと満員状態だった。私たちと同じように観光列車に乗る人たちなのだろう。

ところで、「ペソ・ダ・レグア」が街の正式な名称だが、単に「レグア」と呼ばれることが多い。CPの駅の名前も「レグア」だ。

レグア駅に停車中の急行電車
↑レグア駅に停車中の急行電車

レグア駅の駅舎
↑駅舎

レグア駅に展示されている蒸気機関車
↑展示中のぽっぽを発見。「ついにこれに乗れるんだ!」と、おつむのてっぺんから期待の水蒸気が音を立てて吹き上がったのだった。しかし・・・。続きはページをあらためて。

レグア散策

観光列車の出発まで時間はたっぷりあった。駅を出てドウロ川を見下ろしたら、岸辺が公園になっていたので、街に向かって進みながら公園に下りる道を探した。街路樹が途切れると、向こう岸にひとつだけぽつんとある小さな丘が目に入った(次の写真)。頂には黒マントをまとった人の大看板が立っていた。ポルトで見慣れた、ワイン醸造所「サンデマン」のシンボルだ。山腹にはぶどう畑や小さな貯蔵庫もある。原料から製品まで、ポルトワインを象徴するかのような丘だ。

サンデマン社の看板の立つ丘

ぶどうの実
↑公園の脇でぶどうを見つけた。この実もワインになるのかな。

レグアの町はずれに橋が3本かかっている。町に近い方から順に鉄橋、石橋、近代的なコンクリートの橋だ。石橋には一般道が、コンクリートの橋には高速道路が通っている。鉄道が廃線になったあと、鉄橋は赤錆にまみれたまましばらく放置されていたようだ。立ち入り禁止だったはずだが、レグアに来てみたら高欄がきれいに塗り直され、床には板が敷き詰められていて、自由に渡ることができた。

ドウロ川にかかる3本の橋
↑ドウロ川にかかる3本の橋

鉄橋
↑途中までだが鉄橋を歩いた。板敷きなので、歩行者と自転車専用だろう。

レグアの町
↑鉄橋の上からレグアの町を眺める

お昼ご飯

駅を越えてレグアの中心街まで歩き、カフェでお昼ご飯にした。日替わりおかずの魚料理は、地元でとれた魚のグリルだった。写真のように見た目は黒っぽいが、柔らかい白身だ。ひと口食べると、よどみ臭さというか、海の魚にはない川魚独特の香りが広がった。帰国して魚類図鑑をひっくり返したら、ヨーロッパの緩流域に生息するというブラウン・トラウトが一番近かった(和名は「茶マス」)。「美味」と書いてあるのできっとコレだ。

お昼ご飯の川魚

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